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キングダムに登場した藺相如(りんしょうじょ)とは?どんな人物か?詳細を解説

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さいちゃん

キングダムに出てきた藺相如(りんしょうじょ)ってどんなひと?

たぱお

現代でも使われている言葉、「完璧(カンペキ)」の成り立ちの元になった人物なんだ。

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目次

藺相如とはどんな人物だったのか?

藺相如(りんしょうじょ)完璧刎頚の交わりの故事の元になった人物です。

中国歴史上では、有名人です。

司馬遷の史記では、藺相如は文武知勇の将と賞されています。

春秋戦国時代末期、趙国の恵文王(けいぶんおう)と孝成王(こうせいおう)に使えた人物です。

後に中華統一を果たした秦は、当時昭襄王(しょうじょうおう)の時代で強国でした。

秦は趙を狙っていましたが、

趙には藺相如廉頗(れんぱ)の2人がいたため、手が出せなかったと言われています。

キングダム作中では、藺相如趙国初代三大天のうちの一人とされています。

初代趙三大天といえば、

初代三大天
  • 藺相如(りんしょうじょ)
  • 廉頗(れんぱ)
  • 趙奢(ちょうしゃ)

と設定されています。

そして、キングダム連載中の時代で、新三大天とされているのは、

新三大天
  • 李牧(りぼく)
  • 龐煖(ほうけん)
  • 司馬尚(しばしょう)

の3人です。

3人ともキングダムの中に描かれていますね。

李牧は、作中で主人公信(李信)のライバルとしての位置づけです。

李牧はあまりに有名になってしまいましたが、

人物としての格は、藺相如も同格といえます。

ちなみに、三大天という呼称は、キングダムだけのオリジナルのものです。

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和氏の壁

藺相如(りんしょうじょ)について詳しくなってみよう、

歴史をちょっと知ってみよう

と思うなら、

完璧

という故事成語について、まず押さえてみましょう。

次に、『完璧』という、故事成語と同時に、

和氏の壁(かしのへき)

が外せないワードとして出てきます。

和氏の壁については『韓非子』という書物に書かれています。

韓非子は、戦国時代だとかなり有名な法家(法治主義を説いた中国春秋戦国時代の学派のひとつ)である韓非によって書かれた著書のことです。

韓非子は、秦の始皇帝にも高く評価されたといわれています。

完璧の『壁』とは、

当時、趙にあった宝物『和氏の壁(かしのへき,かしのたま)』のことです。

壁とは、祭祀用に使われた玉器で形状は円盤状で、中心に穴が開いています。

そういった用途・形の宝玉を「壁」といいます。

和氏の壁は、春秋戦国時代の楚の人物、卞和(べんか)が見つけた宝石です。

和氏(かし)とは、卞和(べんか=人名)のことです。

壁は、

玉(ぎょく)とも呼ばれます。

和氏の壁は、天下の名玉といわれ、特に価値が最上とされていました。

名玉はいわゆる宝石のことです。

和氏の壁は、秦の昭王が15の城と交換しようとした故事により、その後「連城の璧」とも言われるようになりました。

和氏の壁を見つけたといわれている卞和(べんか)は、春秋時代の人物です。

これを楚山で見つけたと伝えられています。

楚山とは、単純に楚の地域(中国大陸の南部)の山のことであろうといった程度の解釈です。

ー楚人の和氏、玉璞を楚山の中に得たり、奉じて之を厲王に献ずー(韓非子より)

玉璞は「ぎょくはく」と読みます。

まだ磨かれていない玉のことで、”あらたま”と訳せます。

厲王(れいおう)は、春秋時代初期(紀元前750年ごろ)の楚の君主で、春秋左氏伝では『蚡冒(ふんぼく)』と表記されますが、韓非子では厲王と表記されます。

卞和(べんか)は、

厲王(れいおう)に宝石だと思った、この玉璞を献上しましたが、

単なる石だと言われてしまいます。

君主を欺いたとして、卞和は左足を切られてしまいます。

ー厲王の薨こうじるに及び、武王即位し、和、又た其の璞(はく)を奉じて之を武王に献ずー

厲王(れいおう)が崩御して、次に武王が即位すると、卞和(べんか)は再び武王に同じ玉璞を献上しました。

しかし、武王にも、再び同様にこれは単なる石だと言われてしまいます。

そして今度は右足も切られてしまいます。

ー武王薨じ、文王即位し、和、乃ち其の璞を抱きて楚山の下に哭し、三日三夜、泣尽きて之を継ぐに血を以てすー

武王もまた崩御して、次に文王の時代となります。

卞和(べんか)は”あらたま”を抱いて山で三日三夜、とうとう涙の代わりに血が出るほどに泣きはらしていました。

それを聞いた文王がその理由を聞くと、卞和(べんか)はこう応えます。

足を切られたことを泣いているのではなく、宝石なのに石と言われてしまい、忠義の士にもかかわらず君主を欺いた者とされてしまったことを悲しんでいるのです。

ー王、乃ち玉人をして其の璞をおさめ、而して宝を得たり。 遂に命じて曰く、 和氏の璧、と。ー

それを聞いた文王は、玉工にその玉璞を磨かせると、見事な玉だったことに気づきます。

文王は、その見事さに心をうたれ『和氏の壁だ』と言ったと伝えられています。

この和氏の壁は、『韓非子』『十八史略』『史記』に登場しています。

しかし、趙が滅ぼされた後は、歴史上に登場していません。

定かではありませんが、中華統一を果たした秦の始皇帝により玉璽(ぎょくじ:皇帝の用いる印のことです)とされたという説もあります。

『三国志』にも登場する伝国の玉璽は、漢王朝の歴代皇帝が使用したとされています。

玉璽は『三国志演技』でも登場します。

重要アイテムとしては、けっこう有名ですね。

しかし玉璽は、後晋の時代に紛失してしまったとされています。

現代には、実在はしていないことになっています。

完璧

 ー趙の恵文王、嘗(かつ)て楚の和氏の璧を得たり。

秦の昭王、十五城を以つて之に易へんことを請ふ。

与へざらんと欲すれば、秦の強きを畏れ、与へんと欲すれば、欺かるるを恐るー

前述しましたが、

和氏の壁は、秦の昭王(昭襄王)が15の城と交換しようとした故事により、

その後「連城の璧」とも言われるようになりました。

昭襄王といえばキングダムでは『~戦神といわれた』などと表現されていて、

すごく強かった秦の王様のイメージです。

正史や実際の書物の中では、戦神というような表現は、もちろんありません。

ただ実際、昭襄王の時代の秦は、強国だったのは間違いなさそうです。

特に魏冄(ぎぜん)が宰相であり、魏冄に推挙された白起(はくき)が将軍だった時代は、多くの他国の城が秦のものとなっていったようで、かなり勢いがありました。

そんな秦国は、当時、趙を下にみていました。

秦王は、趙国にある和氏の壁を手に入れたいと思い、十五城との交換を持ちかけます。

それに対し趙王の恵文王は、断れば秦が攻めてくるだろうと心配し、

はたまた応じれば約束を反故にされ、壁をただ取られてしまうのではないかと恐れました。

騙し取られたとしても、強国秦には何も言うことはできず泣き寝入りです。

しかし、それでは趙は天下の笑いものとなってしまいます。

藺相如 曰はく、「願はくは、璧を奉じて往かん。 城入らずんば、則ち臣請ふ璧を完(まっと)うして帰らん。」と。既に至る。

ここで藺相如が登場します。

藺相如は「自分が秦へ和氏の壁を持って行く」といいます。

そして、「もしも城が手に入らなければ、和氏の壁も持ち帰る」といったのです。

秦王城を償ふに意無し。 相如乃ち紿きて璧を取り、怒髪冠を指す。柱下に卻立(きゃくりつ)して曰はく、

「臣が頭は璧と倶に砕けん」と。

藺相如が、秦王に和氏の壁を献上したのですが、秦王が城を趙へ譲る意思がない、

藺相如はそのことが分かると、

うまく欺き壁を取りかえしてしまいます(小さな傷が壁にあるので教えましょうといって奪い返したといわれています)。

そして、冠から髪が飛出るほどに怒りをあらわにしつつ、

城をもらえないのであれば、自分の頭と壁を粉々にするといって凄んだのでした。

藺相如は、もともとは、恵文王の宦官繆賢(びゅうけん)の食客です。

おそらくは、そこらの食客よりは武に慣らした人物でもあったのではないか?程度には推測できます。

しかし廉頗のような、多くの戦場を駆け巡っていた屈強な武人には、到底及ばないでしょう。

この時点では、交渉のため秦へ赴いた趙王の宦官の家来の一人でしかありません。

しかし、史記で知勇兼備と称されるように、知恵に加え、豪胆で激しい気性も持ち合わせていたようです。

「怒髪天を突くー冠を突き破る(飛び出す)ほど髪が逆立つ」と、なんとも凄まじい表現がされています。

従者をして璧を懐(いだ)きて間行して先づ帰らしめ、身は命を秦に待つ。

秦の昭王、賢として之を帰らしむ。

藺相如は、時間稼ぎをしている間に従者を使って和氏の壁とともに趙に帰らせてしまいます。

秦王は捕らえた藺相如を賢いものだといい、趙へ帰らせたといいます。

結果、藺相如は、壁を守り通すと同時に、趙の面子も保ったのでした。

このエピソードの評価は「まさに完璧な対処」とされて

現代の語源となったのでした。

刎頸の交わり

宦官の家来の一人に過ぎなかった藺相如は、外交の面で功を立てたので、上卿にまで昇格しました。

上卿は、かなり高位の大臣職で、廉頗より偉くなってしまったのでした。

ここでこれが、廉頗は気に入りません。

戦場で戦い、功を積み重ねてきた歴戦の将軍は、

舌先三寸の外交だけで、出世してしまった藺相如が気に入らないのです。

このことを公言して、はばからない廉頗将軍に気づいた藺相如は、

病気と称して外出を控えるようになってしまいました。

すると今度は、

藺相如の家臣たちが、弱腰な自分たちの主人をみて潔しとせず、

皆で辞職を申し出ようと、言い出してしまいます。

相如曰わく、夫れ秦の威を以ってすら、相如之を廷叱して、其の群臣を辱む。相如、駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧念するに強秦の敢えて兵を趙に加わえざる者は、徒吾が両人の在るを以ってなり。

それを聞いた藺相如は、家臣たちに言います。

「廉頗将軍と秦王では、どちらが上でどちらがより恐ろしいか?」

「それは秦王だ」と家臣たちが言うと、

「秦王を怒鳴りつけた自分が、どうして廉頗将軍を恐れるか」

と藺相如は言ったのでした。

今、両虎共ともに闘わば、其の勢い倶に生きず。吾の此を為す所以の者は、国家の急を先にして、私讐を後にするなり、と。

強国で、趙への侵攻を常に狙っている秦が攻めて来ないのは、

藺相如と廉頗がいるからなのである。

二人が争うならスキができ、秦は攻めてくるだろう、

なので私讐は後にしているのだ

と藺相如は説明しました。

頗之き、肉袒してい、ってし、刎頸わりをす。

このことを聞きつけた廉頗は、

藺相如の屋敷へ出向くと、

半脱ぎになり謝罪をしました。

その後二人は、

頸(くび)』を『刎(は)』ねられたとしても、互いに恨みはない

という誓いを立てたのでした。

これが刎頸の交わりの語源となりました。

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